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博識の老人は何でも知っている

「君はいつだったか、『銀河と銀河の間には何があるの?』と尋ねたことがあったね。」
「ありましたっけ?」

ここは何もない平野をガタガタと走る2両編成の列車の指定席。
ぼくに話しているのは、近所に住んでいる物知りのおじいさんだ。

「あったさ。あれは君が小学4年生の頃だった。覚えているとも。」
「ふーん、それが、どうかしたんですか?」
「ブラックホールというのがあるだろう。」
「はぁ」

この人は昔から、話がころころと変わる。
ぼくは、またか、と思いながら、おじさん(昔からの知人なので、彼が老人になった今でもおじさんと呼んでいる)の話を黙って聞くことにした。

「あれは星の死骸らしい。そして、物凄い引力で、近づくもの全てを飲み込み、圧力で塵にしてしまうんだそうだ。」
「そういう見解もあるようですね。」

ぼくはブラックホールの事くらい、知っていた。
曲がりなりにも、このおじさんとろくでもない世界観について、今まで語り合えてきた程度の知識があるのだ。

「そして光をも飲み込んでしまう。わかるかね、光をもだよ。」
「らしいですね。」

ぼくはいよいよ暇になって平野を見つめた。
そしておじさんがしきりに話したがるその「空」を見上げた。

「私はね、銀河と銀河の間というのは、ブラックホール同士が均衡を保っている場所なのではないかと仮説を立てたのだよ。」
「ほう」

その仮説について、ぼくはしばらく考えてみたが、
やはり銀河と銀河の間なんていうのは、ただの余白だろうと思った。

「この説は実にしっくりくる。君はどうだ?」
「いやぁ、ちょっと、こじつけに思えますが。」

答えると、おじさんは大いに喜んだ。
彼は何かを語る時、特に変人だ。

「勿論こじつけに過ぎないよ。だって私は学者でも何でもない。何かを専門的に学んだといったら、商業くらいのものだ。」
「はぁ」
「だがね、銀河について、ブラックホールについて、きちんと説明出来る者が、果たしてこの世界のどこにいるというのだろうか。
 誰も知りはしないんだよ。三次元でしか物事を理解できない我々には、そもそも無理難題なんだ。」
「それなら、その仮説には全く意味がないということにはなりませんか?」
「そうではない。説がなければ解明できるものもできなくなってしまうだろう?」
「まぁ……」

おじさんがヒートアップしてきた頃、ぼく達が降りる駅まであと一駅になった。
そろそろ話を終わらせなければ、おじさんは席を立つことさえ忘れてしまいそうだ。

「そしてね。私はこれを言いたかった。
 一次元は一次元、二次元は二次元、三次元は三次元。すべての次元で物事に筋は通るようになっているはずなのだよ。
 だから我々の見ている三次元でも、銀河のことを解決できると思うんだがね。」
「それはどうでしょうね」
「そうすると、私が立てた仮説、銀河と銀河の間はブラックホールの均衡状態という説は、ひょっとしたら正解かもしれないのだよ。」
「それならぼくがこう仮説を立てるとしましょう。
 銀河と銀河の間は光を奪われた星たちで満たされ、生き物はすべて冷凍されている。これも正解かもしれないということですよね?」
「そういうことにもなるな。」
「ではどちらが正しくても納得できるし、どちらも間違っていても納得できる。
 正解も不正解も無いのと同じことではありませんか?」
「正解か否かは、私だけでなくこの世の誰にもわからない。ただ考えるロマンを味わうことが、私には幸福なのだよ。」
「なるほど。おじさん、もう降りる駅ですよ。」
「おお、ちょうど話が終わったところで、よかったよかった。」

ぼく達は列車を降りると、今度は知りもしない哲学のことや、力学のことを語りながら
何の変哲もない下町を家に向かって歩いていった。

「それでは、また今度。そうだ最後に、これが言いたかった。
 何かを解明することは、その何かを『こういうものだ』と決め付けることだね。
 では何かを解明するのに、どうするのが近道だと思う?決め付けてかかることだよ。」
「なるほど、勉強になりました。」
「では、また今度。」

おじさんはそう言うとはす向かいの家へ入っていった。
ぼくは自分の家に入り、玄関に腰かけて一息つく。

「今日は少し早かったのね」

妻には心配をかけているようだ。

「いつもより、話に関心を向けなかったからね。大丈夫、これはぼくのエゴなんだから。ぼくは彼を養う必要が無い。」
「そういう心配をしてるんじゃないわ。」
「そうかい。」

2階の自室で服を着替え、ふと思い立って窓からおじさんの家を見ると、彼はカーテンを開けたままSF映画を観ているようだった。
昔からちっとも変っていないんだ。
あの頃ぼくは、あのあぐらの上にすっぽり収まって、どきどきはらはらしながら映画に見入っていたんだったなぁ。

ダイニングに入ると、夕食が用意されていた。

「それで、進展はあったの?」

妻はぼくがおじさんと出掛けた後はいつでも心配そうにしている。

「いいや。母さんのことも思い出せないみたいだ。」
「そう……」
「君は心配しなくていいんだよ。ぼくが彼を近くで見守りたいから、ここに引っ越してきたんだ。
 君までぼくのように彼に対して、表現しようのない負い目を感じなくてもいい。」
「いいえ、私たちは夫婦じゃない。一緒に悩みましょう。」
「そうかい、君はぼくには勿体ないほどの良い妻だ。」
言いながらぼくは、自分の話しぶりがおじさんに似てきていることに気が付いた。
そうか今ぼくは、大切にしなくてはと思う人に対して話している。

… …

ぼくと妻の間にやっと待ち望んだ愛すべき子供が生まれた。
抱きかかえた我が子にぼくは思わず微笑む。
「よくぞ生まれてきてくれたね。君と過ごすこれからが実に楽しみだ。」



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